私はただの旅人だった
この地が好きで この地を時々訪れ
そして住み着いた
私はただの 旅人だった
定年を待たずに電車の定期を 絵筆に持ち替えた
しがない中年の私は
そのために 家族も仕事も捨てて来た
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絵を愛し 絵に愛され
人生の全てを捧げた私の最後の作品は
その苦悩の境地を言い表すにふさわしい
波と私の激しい抱擁だった
長年買い換えることのなかったぼろぼろのキャンバスに
最後の午後が来る…
あともう少しで作品が仕上がるという時に
大きく大地が揺れた
身ひとつで逃げることなど 思いもしなかった
そして私は完成間近の絵を置き去りには出来ず
その絵を後生大事に抱き抱えたまま
荒波の藻屑と散った
壮絶 かつ爽快な己の最期に
潮の祝杯をあげる 宿命の渦の中で
最後に思い描いたこと
それは 今この瞬間
ここにいて良かったという思い
そのほかに何も 思い遺すことはなかった…
--- 〔 行方不明 50代中盤から後半の男性 〕 ---