Requiem 311

#25. 草と光と胎教と

仔牛がもうすぐ生まれそうな 午後だった

言葉も夢もない者にとって
それはこの世界で得る 最高の瞬間になるはずだった

私は牛舎の墨にカセットレコーダーを持ち込んで
小さな音で音楽をかけて
その仔牛の誕生を
息を呑んで待っていた


大地が揺れても
そして大きな風が吹いても

母となる彼女と その仔を見届けるまでは
一歩たりとも
ここを動いてたまるかと 声に 出しながら








それは風ではなく 雨でもなく
すべてを呑み込む巨大な水時計のように

私の目の前で この世に子を送り出そうとしていた母親を
一瞬にしてさらって行った


その後のことは 何も覚えていない


音楽が鳴り止んだ後の静寂は
いつか映画で観たシーンよりも 暗くて
そして寒い









どこへ 流されて行ったのだろう… みんな


ずっと泳ぎが得意ではなかった私が
今なら自由に水を渡って行けそうに思えた



あの子たちを探さなきゃ…

水を掻いて このまま進んでみよう

そう 太陽に向かって叫んでみる
あの日の 午後みたいに…

・・・ ……




--- 〔 行方不明 宮城県南三陸町 推定40代後半 女性 (酪農) 〕 ---

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲


BACK <<< HOME >>> NEXT